Orange trees on the Aventine and St Peter's dome in the distance.
ローマ
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見どころ
7 か所 · 約 2 h 57 · 音声ガイド
写真
写真:Wikimedia Commons(撮影者を表記)と Google。
ローマ:あなたのルート
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含まれるもの:フルルート、12言語の音声ガイド、旅行ツール。含まれないもの:美術館・名所の入場料、交通機関の乗車券。
💡 ローマで知っておきたいこと
出かける前の実用的なヒント。
Leave luggage at the airport left-luggage desk or a partner storage point on the route (marked ★). Carry only essentials and your passport.
EU SIM cards roam at no extra cost. From outside the EU, a 1‑day data eSIM is cheap; airports and many cafés have free Wi‑Fi.
Cards are accepted in most places; keep coins for coffee at the bar.
A "coperto" cover charge is often on the bill; tipping is optional.
Refill your bottle at the free "nasoni" public fountains.
Pickpockets at Termini, on bus 64 and at the Trevi Fountain. Cover shoulders and knees to enter churches.
Type C/F sockets, 230 V.
Toilets in stations, shopping centres and museums; in a café, buy a drink first.
ⓘ 実用情報は公式・公開情報をもとに2026年10月にまとめたものです。この都市ではまだ現地確認をしていません。変更があれば「問題を報告」からお知らせください。
ローマの安全情報
緊急番号、よくある詐欺、助けの求め方。どなたでも無料。
病院と薬局は市の中心部周辺で検索します。現在地を共有すると近くの結果が表示されます。
目印:Farmacia ✚
Aiuto! Ho bisogno di aiuto. Per favore, chiami la polizia o un'ambulanza.
スリ
混雑したトラム、地下鉄、行列が彼らの仕事場です。バッグは体の前で閉じ、スマホは後ろポケットに入れないで。
コスプレ写真
「剣闘士」やキャラクターが一緒に写真に写り、高額なチップを求めます。先に値段を決めるか断って。
「無料」のプレゼント
バラやローズマリー、「プレゼント」を手に押し付けてからお金を要求します。受け取らないで。
ミサンガ詐欺
手首にひもを巻き付けてお金を要求します。手はポケットに入れ、はっきり断って。
値段のないメニュー
値段が表示された店で食べましょう。名所近くの店先の客引きは高額な会計のサインです。
タクシー
正規のタクシー乗り場か定額の配車アプリを使って。空港到着ロビー内の声かけは断りましょう。
Termini · Bus 64 / 40 · Metro A · Fontana di Trevi · Colosseo
Termini / Esquilino
パスポートの写真をスマホに保存し、カードは1枚と少しの現金だけ持ち、人通りが多く明るい道を選びましょう。
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一般的な情報です。危険なときはすぐに 112 に電話してください。 · ローマ
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🆕 今日のローマ
10月23日金曜日 · 毎日自動更新
ローマ で体験すること
あなたのために選んだひととき、遊び、イベント。
Peek through the Knights of Malta keyhole: St Peter's perfectly framed.
Fruit, spices and flowers in the morning, Monday to Saturday.
Cacio e pepe in a trattoria and a stroll through lamplit lanes.
Fewer people late in the evening. Toss a coin to come back to Rome.
Rent a bike or family surrey in the park above Piazza del Popolo.
🏛️ ローマの歴史と文化
街の成り立ちを数分で。
ローマ(伊: Roma、英: Rome)は、イタリアの首都。欧州有数の世界都市であり、ラツィオ州の州都。周囲を七つの丘に囲まれていることから、「七つの丘の都市」と呼ばれることもある。その歴史的重要性により、ローマは一般に西洋文明の最も代表的な都市の一つであり、西洋キリスト教文化の発祥の地であるとともに、カトリック教会とローマ教皇庁の中心地であると考えられている。
ローマの歴史は28世紀に及ぶ。ローマ神話ではローマの建国を紀元前753年としているが、実際にはそれよりも古くから人が住んでおり、3000年以上にわたって人類が定住してきたヨーロッパ最古の都市の1つである。初期の住民はラテン人、エトルリア人、サビニ人の混血であった。ローマはローマ王国の首都となり、その後のローマ共和国やローマ帝国の時代を通じてその地位を占め続けた最初のメトロポリスであった。紀元前1世紀に詩人アルビウス・ティブッルスが初めてローマを「永遠の都市 (ラテン語: Urbs Aeterna、イタリア語: La Città Eterna)」と呼び、後にオウィディウスやウェルギリウス、ティトゥス・リウィウスも同様に表現している。ローマは「カプート・ムンディ (ラテン語: Caput Mundi(世界の首都)」とも呼ばれた。
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伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日にギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫である、双子のロームルスとレムスにより建てられた。ロームルスはレムスとローマを築く場所について争い、レムスを殺した。その後、ロームルスは7代続く王政ローマの初代の王となり、またローマの市名の元となったとされる。
考古学的には、この地に人々が居住したのはもっと早く、ローマの起源は紀元前8世紀もしくは9世紀ごろ、北方からイタリア半島に移動してきた民族がテヴェレ川河畔に定住したことにさかのぼると考えられている。恒常的に人が住むようになったのはこの頃らしく、紀元前8世紀にはじまる鉄器時代の遺跡はパラティーノの丘で発見された。
他にもエスクイリーノの丘やクイリナーレの丘にも集落があったものと思われる。当時のローマは低地は湿地帯で居住に向かず、丘の上に竪穴式木造家屋を建てて住む数千人の人々が小麦を栽培して生活していた。
紀元前7世紀頃には都市国家としての整備が進んだ。パラティーノの丘とカンピドリオの丘の間に排水路が設けられ、湿地を乾燥させた場所には公共の施設フォロ・ロマーノが作られた。ここはローマの政治・経済の中心へと発展した。またカンピドリオの丘にはユピテル神殿が建設された。これら土木・建築様式はエトルリアやギリシアの影響が見られ、それらの地から技術が導入されたと考えられる。
王政ローマ期に当たる紀元前6世紀の王セルウィウス・トゥッリウスの頃には、防衛の石垣セルウィウス城壁がローマを覆うように建設されたと伝わる。ただし考古学的調査ではこの城壁は紀元前4世紀前半頃であり、史実的にガリア人がイタリア半島に進出した時期と重なるため、これらへの備えで作られたという説が有力である。
共和政ローマ期にはイタリア南部をほぼ領土とし、その首都としてますますローマは発展した。人口増加に対応して丘の下にまで広がった家屋はレンガ製の壁を持つものとなり、道路の整備も進んだ。現代も残る大戦車競技場(チルコ・マッシモ)が建設されたのもこの頃と言われる。紀元前312年からはローマ街道の敷設が、また同じ頃から水需要の増加に対応するローマ水道の建設が始まった。
ローマ帝国の首都となり、皇帝アウグストゥスの時代には100万人が居住する世界最大の都市となった。それに伴いフォロ・ロマーノが整備され、ローマは権力の中心としての都市開発が進展した。しかし皇帝ネロ統治時の64年に市域の1/3を焼失するローマ大火が発生した。これを機にネロは乱雑な建物に規制を施し、区画整備を推進した。こうしてローマは整然とした町並みを手に入れた。
そしてこの頃、ローマ帝国は隆盛を極めた。皇帝ウェスパシアヌス在位期の69-79年には火災復興事業が盛んに行われ、5万人を収容可能なコロッセオは石灰石を用いた化粧が施され、剣闘士の戦いなどの催しが行われた。さらに石灰岩と火山灰を混ぜたローマン・コンクリートが発明され、パンテオンなど様々な建物が次々と建設され、ローマは大帝国の首府にふさわしい都市となった。ここには、皇帝が権威を示し民衆の支持を得るために、都市建築を用いたことも影響している。この栄華は皇帝ディオクレティアヌスが拠点をニコメディアに移すまで続いた。
286年にディオクレティアヌスによってローマ帝国の行政区画が東西に分けられた後は西ローマ帝国に属したが、西ローマ皇帝は拠点をミラノやラヴェンナに置いたため、ローマの政治的重要性は大きく低下した。5世紀には西ゴート人やヴァンダル人の掠奪を受けて衰微し、476年に西ローマ皇帝の地位が消滅した後は東ローマ皇帝によってイタリア領主に任命されたオドアケルや東ゴート王の支配下に入った。
6世紀中頃、イタリアを統治していた東ゴート王が東ローマ帝国に滅ぼされ、ローマは再びローマ皇帝の支配下となった。だが、度重なる戦争で荒廃し、歴代の東ローマ皇帝はローマ維持には努めたものの、重要視はしなかった。ローマを訪れた最後の東ローマ皇帝は663年のコンスタンス2世であるが、この人物以外にローマを訪れた東ローマ皇帝はいない。この時期のローマは、宗教的にはともかく、政治的、軍事的にはラヴェンナ総督府の影響下にあった。
しかし、751年にランゴバルド族の攻撃によりラヴェンナが陥落。ローマも脅かされることになる。ローマ教皇ステファヌス2世は、教義問題で対立する東ローマ皇帝コンスタンティノス5世ではなく、フランク族のピピン3世に救援を求め、結果、東ローマ帝国から独立を果たす。
この後は『シャルルマーニュの寄進状』によれば800年にカールによりローマ教皇に寄進されたとされるが、この文書は今日では偽書とする見解が優勢である。15世紀半ば以降、ローマ教皇領の首都として栄え、ローマはルネサンス文化の中心地となった。教皇ニコラウス5世の時代には、城壁の改修、宮殿の建設、教会の修復工事がおこなわれた。おもな芸術家や建築家はローマで活動するようになり、15世紀末にはローマはフィレンツェにかわってルネサンスの一大中心地となり、ミケランジェロ、ブラマンテ、ラファエロなどの芸術家が教皇のために仕事をした。
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